ワーホリミスったと思う記事を書いてわかったこと
こんばんは。
最近は頭がまとまらなくて少しさぼってた。。
えーっと、以前ワーホリ失敗したって話を3回にわたって書きました。
リンクも貼っとくから是非見てね。
この記事を書いて、自分で気づいたことがあります。
それは、自分が自分を商品として見ている、ということです。
私は人と変わってることは全く怖くない。(来週の水曜日やっと坊主にします!)
変な洋服着てても、変なピアスしてても、変なこと言っても、坊主にしようとしても、これがいいと思ってやってるから、自信がある。
でも、人より劣ることが何よりも怖い。
私のいう「劣る」って、多くの人に必要とされないこと。
つまり、自分の価値を「労働力」っていう観点でしか図れなくなっているんだよね。生産力が高いものが優れているという考え方がすごく身についている。
ファイナンシャルプランの資格も、もちろん興味はあるけど、就活を見据えて、労働力という点で評価されたかったから取ったんだと思う。
それで、飽くなき生産力への欲求を追求するあまり、自分の頑張りをなかなか認められずに、セルフコンフィデンスが無くなっている。しかも、他人を批判することで、自分の市場価値を必死に保とうとしているのかもしれないな、と。
小さいうちから常に競争にさらされて、効率を求めていると、こういう大人になるのか、、と気づきました。
そして、ここ5年くらいずっと、セルフコンフィデンス(自己自信)に悩まされ、これからも考え続けるんだと確信してる。
そんなことを最近は考えていました。
そして、この話って多分私だけじゃなくて、同世代の子は結構共感できると思うんだ。
自分をもっと好きになりたい、ただそれだけ。
でも、とてもとても難しい。
そして、ワーホリミスったというのは、生産力という観点から見て効果的な1年になるのか、疑問が湧いてきたんだよね。すごく変でしょ。
自分がしたいことをただすればいいのにね。社会の声によって自分の声がかき消されそうになる。
だから、ワーホリ失敗だって気づいたことがまず大きなヒントだと思ってるいるの。いや、正確には、ワーホリが失敗だと思っている自分がいることに気づいたこと。
失敗か成功かなんて、決められない、と多くの人に人に言われるんだけど、まだまだ自己否定の日々が続きます。人生、日々鍛錬ですね。
また気を引き締めて頑張ろう、、
明日は、オージー(オーストラリア人)から聞いた、日本とオーストラリアの会社内の働き方の違いについて、今日の話とつなげながら、書こうと思います。