質感

川の流れに身を任せ。

21歳の労働観

こんにちは~


今日は週に1日のお休みの日!わーい!

 

最近結構疲れていて、、お休みを楽しみに生きるようになった。

毎日長時間労働だし、毎日同じ仕事の繰り返しだし、

 

 


別に休みの日に何かをする予定もないんだけど、ただ、本を読んで、考え事して、アイディアをまとめて、、そんな時間を過ごすのが好きなの。必要なの。

 

 


前回は、私の労働観形成の気づきにに触れて終わったんだけど、肝心な労働観についての話を今日はしようと思ってさ。

 

 

 


えー、前回の記事から読んでもらったほうがいいのでリンクを貼っておきます。

 

働くってなんだろう、の続き - ワーホリ学生Maggie in オーストラリア

 

 

 

そんなわけで、21歳現在の労働観なんですけど、、
私は、もともと戦争に興味があるって再三このブログでも発言していると思うんだけど

 


戦場のピアニスト」という映画が全てのきっかけだったのね。

それを見たときは確か小学校3年生くらいだったと思うんだけど(今思えば小学生が見る映画ではないね!あまりに残酷で!)

 

 

 


単純に、どうしてユダヤ人が殺されてしまうのか、というのが最初はすごく疑問だったんだよね。

 


そこから興味をもって、ユダヤ人や第二次世界大戦について調べていったんだけど、そして現在は政治学科で勉強してるけど、

 

 


その後、シンプルに言うと「環境が生み出した不条理、格差」に興味があることに気付いたわけですよ。

 

 

 


環境が生み出した不条理、格差

 

 

これは大きな問題なのではないかと。

 

 

 

 

彼らは、生まれながらにして虐殺されるという環境で育っているけれど、それは彼ら自身が選択できたものではないよね。


そして、この格差の問題は、ユダヤ人に限らず、現在であれば、シリアとか、もしくはまだまだ世界には貧困地域があるわけだよね。

 

 

 


それってすごくおかしいんじゃないかと思うわけです。

 

 

 

 

 

私はラッキーなことに日本に生まれて、食事も教育も満足に享受することができた。

 

 


でもそれは運命であって、もし第二次世界大戦中に生まれていれば、こんな環境を享受することは絶対になかった。

 

 


生まれてくる環境を私たちは選べない。

 

 


偶然、貧困地域、紛争地域に生まれてしまったがために、日々恐怖におびえながら生活する人たちもいるわけだよね。

 

 

 


私はそういう人がいるということに目をつぶっては生きていけないなって思う。

 

 

 


そして、これは国際的に考えるとすごく広い問題に思えるけど、

例えば、環境に因る格差って日本の中にもあるよね。

 

 

 

 


私が一番身近に感じるのは情報格差なんだけど、

インターネットがこれだけ発達して、携帯一つで何でもできるようになった時代に取り残されている人もいる。

 

 

 

 


分業化によってなんでも専門性が高くなってしまったために、そういった、いわゆる情報弱者はこの競争社会に取り残されてしまっている。(携帯の使えないおじいちゃんとかおばあちゃんとかね!)

 

 

 


そして、知らぬ間に搾取されているんだよね。

 

 

 


旅行会社とかもそうだと思うんだけど、申し込んでいる本人たちは、払ったお金が正確に何に使われているのか把握していない。

 

 


情報を集める力が弱ければ弱いほど搾取される側になってしまう。

 

 

 

 

 

そして、知らぬ間に損をしてしまう。


(ここで私の言う損とは、提示された値段分の価値があると本人が自覚して認めていないものに、要求されたまま支払いをしているということ)

 

 

 


でもそれが資本主義だからね。

 

 

強いものは弱いものから容赦なく資本を搾取していく世の中になっているんだと思います。

 

 


それは時にお金だけではなく、人生の時間も搾取されることがあるよね。
大学生のブラックアルバイトとか。

 

 

 

 

 


で、私が何をしたいかというと、抽象的ではあるんだけど、まずは、この格差を助長させる働きはしたくない、ということ。

 

 

 


そして、いわゆる環境に因る格差の中の弱者に希望を与えることをしたいなって思うんです。

 

 

 

私がファイナンシャルプランナーの資格を取ったのは、
情報が手元にないせいで、もしくは情報の集め方がわからないせいで、お金がないからやりたいことが達成できないって思っている人を助けたいなって思ったから。

 

 

 

 


お金がないから、何かができないってもしかするとよくある話なのかもしれない。

 

 

 

私も、ずっと留学に行きたかったけど、うちんちはそんなに裕福なわけじゃないから、留学にはいけないってわかってたのね。

 

 

でも、そんなの裕福な家に生まれなかったから留学にいけないって環境のせいにしたくなかったから、ワーホリって形ではあるけど、何とか自力でオーストラリアに滞在することを実現させたわけですよ。

 

 

 


だから、環境がそろっていないからあきらめるっていう発想に光を与えたいっていうのが私の根幹にある想い。

 

(次第に、その環境を改善したい、という所まで到れれば尚良いですね!)

 

 


塾のバイトも一緒で、自分は馬鹿だからこれ以上はいけないっていう限られた情報による閉ざされた発想の子がめちゃくちゃ多いんだけど(現に私もそうだったし)、授業や会話を通じて、生徒に可能性を感じてもらいたかったんだよね。

 

 

 

 

 

この想いを将来、国際的なフィールドで生かすか、それとも日本の情報格差に注目して国内的に活躍するか、自分でもわからない。

 

 

 


でも、ここがぶれなければ、あとはどんな手段であっても、どこに注目しても、なんでもいいと思ってるんだよね。

 

 

 

というスーパーまじめ話。

 

 


このアイディア自体、いま文章化する過程で同時にまとめたから、なんだかまだ突っ込みどころの余地が満載だし、突っ込んでいくと、今のここでの私の生活態度と矛盾が生じる可能性もあるね。

 

 

 

 

理想と現実ってやつね。

 


そして、このアイディアの実現方法は改めてリサーチして探る必要がある。

 

 


でも、文章はすっきりしてないかもしれないけど、私の心はすこしだけすっきりしています(笑)

 

 

しかも、ちょうど1年前、共同論文を書いている時に、わたしがこの遇有的不条理をテーマとしてゴリ押ししてて、なかなか論文案がまとまらなかったことを思い出した( 笑 )

 

 


Anyway、疑問ってすごく大事。


あ、疑問の話も後で記事にしたいから、します(笑)

 


では、改めて休みを満喫します。チャオ!