質感

川の流れに身を任せ。

アウシュヴィッツ強制収容所へ~後編~

こんにちは!

 

後編を直ぐにあげようと思ったら、眠過ぎて寝てた、、

 

 

前編のリンクも貼っておきます。

 

アウシュヴィッツ強制収容所へ~前編~ - ワーホリ学生Maggie in オーストラリア

 

 

 

前編は、なぜわたしが、大量の人が殺害される場所や、歴史に興味があるのか、という事の仮の答えが見つかったよって所で終わったんだけど。

 

それは、逆説的な希望が潜んでいるからってことです。

 

 

 

伝わるか分からないけど、順を追って説明してみます。

(ポーランドの写真だけ楽しみたい方は、下の方に何枚か写真ありますのでお楽しみくださいませ)

 

 

 

まず、わたしの人生に対する考え方って、人生って苦しいよねっていう猛烈なニヒリズムを元に形成されてるのね。

 

 

 

これは、わたしの幼少期からの育ち方と、過去のいくつかの衝撃的な経験によるものなんだけど。

 

 

 

人間は、生まれた時から、死に向かってただもがいてるだけで、何をしたとしても死んだら消えてなくなってしまうから、全て無駄ですって、完全に鬱病の発想なんだけど(笑)

 

 

 

生きてるものは、いつかは必ず死ぬわけだから、私達は、誕生から死亡するまでの間、制限付きの可能性を生きてるわけですよ。

 

つまり私たちが生きてる間に、叶えることのできる夢(=可能性)は有限ということ。

 

 

 

でも、死んだら全ての可能性が途絶えてしまう。

 

叶えることの出来る夢がゼロになってしまう。

 

 

ただ、逆に、全ての可能性が見えてくる、と言えることも出来るとわたしは思うの。

 

 

 

わかりやすく言うと、じゃあ、交通事故で亡くなった学生とかをイメージしてみようか。

 

 

もちろん、みんなその人が亡くなったことを惜しむよね。

 

それは、個という唯一無二の代替不可能な存在を失ってしまったから。

 

生きていれば、あれもこれも出来たかもしれない!っていう(有限の)可能性が、もう絶対に実現不可能になってしまったことに対して、多くの人が間違いなく嘆くはず。

 

 

ただ、それと同時に、もし生きていればって考えた時に、もしかしたら熱い野望があってそれが叶えられたかもしれない、愛する人と結婚して子供を生めたかもしれない、っていう、無限の可能性をその人の死に見いだせると思うの。

 

 

生きてる間の有限の可能性と違って、叶えることは出来ないけど、今度は、制限がない無限の可能性に浸ることが出来る。

 

 

あれもこれも出来たかもしれない、って生きてる間だったら想像出来ないようなことも、もしかしたら想像できるようになるかも。

 

 

死んだ時に、存在しなくなった時に、人間は初めて無限の可能性が現れて、尊い存在に成りうる。

 

 

なんだっけ、このアイディア、確かニーチェかカントか誰かも言ってた気がする。

人間は身体的な作りからして、生まれた時から制限がついてまわる、みたいなこと。帰ったら家の本漁ってみます。

 

 

だから、わたしがこの旅で何をしてるかと言うと、多くの命が消えてしまった場所で、あれもこれも出来たかもしれない、という見えないものに想いを馳せて、満足したいんだなって。

 

 

大量虐殺という現実を直視することで、むしら現実から目を背けて、無限の可能性の心地良さに心を奪われていたいだけなんだ。

 

 

なんて嫌な人間なんだ、自分は、、

 

 

 

 

 

まあ、そんなことをアウシュヴィッツに行って思ったんだよね。

 

 

ガッカリだよね、自分がわざわざアウシュヴィッツに行って、こんなことしか発見出来なかったなんて(笑)

 

 

この発想って逆に言えば、現在の生に関してはあまりわたしが価値を見出していないっていうことを裏付けてるんだよね。

 

 

それって絶望的(笑)

私の欲しかった答えと違うよ~って。

 

アウシュヴィッツ見て、生命の無条件な尊さみたいなのを感じたかったんだよね、本当は。感じたことは真逆だけど。

 

ひぃ、人生上手くいかないね。

 

 

わたしのニヒリズムとの戦いはまだまだ続きそうです、、

 

 

 

というね、わたしの思想の話を長々と、、(笑)

 

 

 

昨日は、アウシュヴィッツから5時半くらいに帰って来て、その後、2時間くらい街をブラブラしました。

 

冬だから5時くらいには結構もう暗いんだけど、ポーランドは安全に夜も出歩ける国です!

 

 

クラクフって、世界大戦中もドイツに破壊されず、昔の建物とかがかなり残ってる、日本で言う京都みたいな位置づけの街なんだって!

 

 

 



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本物のディズニーランドに来たのかと思った!

 

 


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全ての建物が美しく、心から感動した!

 

 


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これぞ、ヨーロッパ!っていうね。

 

 

 

その道中で、パフォーマンスしてるファミリーに出会って。

 


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ちょっと写真で伝わるか分からないんだけど、かなり感動ものだったの。

 

 

というのも、アウシュヴィッツでこんなにニヒリズムに浸って、じゃあわたしはどうやって生きればいいんだっていうことをグルグルグルグル考えながらくらーい顔して独りで歩いてたんだけど、

 

 

パフォーマンス自体もかなり上手だったし、何よりみんな楽しそうに歌って、楽器弾いて、聞いてる人もみんな手拍子とかしてすごい楽しそうだったんだよね。

 

偶然ね、こんな、道でめちゃくちゃ楽しそうにパフォーマンスする家族集団に出会って、、

 

 

感動しすぎて、こっそり泣いてた(笑)

 

 

 

実は人生はこれでいいんじゃないかって。

 

 

どう生きる、とか、なんで生きる、とか、いつもそうだけど、なんでこんなに真面目に考えちゃうんだろう。

 

歌って、聴いて、楽しい!感動!それでいいのかもしれない、、

 

 

なにがあっても、これが人生だから!とか言ってどーんと笑っていられるおねえさんになりたいなあって、心から思いました。

 

 

 

そんな私は、ポーランドを出て、マリファナ合法の国、オランダはアムステルダムにやって来ました。

 

 

 

ありがとう、ポーランド

 

最後タクシーでぼったくられり、みんな大体無愛想で、人はナイスとは言い難かったけど、まじでナイスな土地だったぜ。